今回はここ3年くらいの間に刊行された日本人作家のSF小説で、自分が読んだ作品の中からおすすめ作品を30冊セレクトしてみました。特にSF小説読みというわけでもなく、気になった本を気まぐれに読む雑食系読書廃人なので、全てをカバーできているわけではありませんが(苦笑)気になる作品があったらこの機会にぜひ読んでみて下さい。
※紹介作品のタイトルリンクは該当書籍のBookWalkerページに飛びます。
2123年10月1日、九州の山奥の小さな家に1人住む、おしゃべりが大好きな「わたし」が、人生と家族について振り返るため、自己流で家族史を書き始める回顧録。約100年前、身体が永遠に老化しなくなる融合手術を受けることを父親から提案された主人が綴る、ひらがなメインの文体で語られる物語で、理不尽な扱いをする父や兄、二人の姉たち、そしてパートナーとなっていった新との関係が描かれていて、主人公とその周囲の人々を中心に描かれていた作中ではやや感情に乏しい存在として描かれていたように思えた主人公でしたけど、時を経て人類がいろいろと調整された未来においては、それでもむしろ感情豊かな珍しい存在に見えてしまう構図の変化にはじわじわと来るものがありました。
ここではない世界の人間が異文化と接するときの情景や、未知なる動植物の生態をコミカルに描いたSF短編集。人々がキノコとの共生で他人と共感能力を得るようになった世界。環境激変によって人類が海へと生活を移しクラゲのような生態になった世界。宇宙規模のスケールへエスカレートするダイエットにかける情熱、宇宙人と意思疎通するため全人類が声優の役目を負う世界。異知性とのコンタクトやAIと仮想現実が発展・普及した世界、人口減少で滅びつつある宇宙コロニーで叔母の友人と旅に出る表題作など、それぞれが著者独特の感性と自由な発想で描かれた、どこか終末を感じさせる世界観が印象的な短編集になっていました。
3.東京都同情塔
ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、71階建ての新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられる物語。自身の苦い過去の経験からなかなか犯罪者に寛容になれない建築家・牧名沙羅が、仕事と信条の乖離に苦悩しながら設計した建物が「東京都同情塔」と名付けられ定着していく構図で、多様性を尊重するということはどういうことか、ふわっとした曖昧な言葉でオブラートに包めばいいのか、同情をされるべき犯罪者が自由に優雅に暮らす欺瞞を突きつけて、比較することが良くないこととされ、寛容であることを求められることに対するもやもやに垣間見える複雑な思いがなかなか印象的な物語でした。
プロトコル・オブ・ヒューマニティ
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長谷 敏司 早川書房 2022年10月18日頃
不慮の事故で右足を失い、AI制御の義足を身につけることになったダンサーの護堂恒明。そんな彼が人のダンスとロボットのダンスを分ける人間性を表現しようと試みる近未来小説。身体表現の最前線を志向するコンテンポラリーダンサーだった恒明の突然の暗転から、絶望の中に義足に希望を見出し、自らの肉体を掘り下げてダンスとは何かという本質を突き詰める恒明。そして認知症が急速に進んでしまい変わり果ててゆく、伝説の舞踏家だった父と向き合う絶望の日々。テクノロジーの進化とその限界も実感するなかなか壮絶な展開でしたけど、ある意味そんな彼ららしい結末がまた印象に残る物語でした。
5.沈没船で眠りたい
加速度的に発展するAIに人々が仕事を奪われ、人としての尊厳を求め過激化したネオ・ラッダイト運動によりテロが引き起こされる近未来。そんな中、テロの首謀者と関わりを持つとされる女子学生・千鶴が機械を抱いて海に飛び込むシスターフッドSF。組織の幹部として関与していたことは認めながらも、逮捕理由となった器物破損に関してはなぜか否定し続ける千鶴。回想で語られてゆく、頑なで孤立していた彼女を認めてくれた唯一の親友・悠を襲った悲劇。冷ややかな目で悠の彼・有村の活動を眺めていたはずの彼女がなぜ組織に関わるようになったのか。一見矛盾しているようにしか見えない千鶴の行動は、どこまでも親友に対する真摯な想いに繋がっていて、大切な人のために生きたことが明らかにされてゆく鮮烈な結末が、とても印象的な物語になっていました。
疫病禍を経験した未来。世界生存機関に所属するアルフォンソは、児童200名以上が原因不明の発作に見舞われる奇病の現地調査を命じられる近未来小説。20年前に民族のアイデンティティが消去され、再生のテーマパークとも揶揄されるその国での調査中、抹消の元凶となった生物兵器が強奪されて、悲劇の再来を恐れる事務総長から密命を言い渡される展開で、国がなくなってしまうことによってアイデンティティが喪失することの意味だったり、多様な価値観が配慮される未来ではどういうことが起こるのか、やや情報量が多めではありましたけど、思考実験としてもいろいろと考えさせてくれるなかなか読み応えのある一冊でした。
人類が地球を脱し数百年が経過した未来。月に住む編集者キャサリンが人類全てへの贈り物となる本を作るため、宇宙に伝わるクリスマスの民話を集める連作短編集。話を集める過程で聞いた遠い星の開拓民の小さな女の子を愛した犬と猫、トリビトたちが特別な思い入れを持つ劇場船、人が住めなくなった地球にいる付喪神、山間の図書館に訪れた異星人の話。そういった話を集めて作られた本と幽霊船のエピソード。いつかこういう時代が来ることもあるのかなと思いながら読んでいましたが、猫がネコビトに、犬がイヌビトなどに進化している方向性がなかなか楽しくて、舞台設定が変わっても著者さんらしい雰囲気がよく出ていて良かったです。
8.回樹
真実の愛を証明できる「回樹」を巡るありふれた愛の顛末。表題作ほか環境が激変する中で、誰でも少しは思い当たる感情への思いを描いた著者初のSF短編集。骨の表面に文字を刻む技術「骨刻」がもたらした特別な想い。傑作が生まれなくなった映画を巡る魂と消されてゆく名作たち。人間の死体が腐らない世界で、妻の死体の行方を探る男。奴隷制度下のニューヨークの白人と黒人と宇宙人の融和。冒頭の短編に登場した回樹に愛を託した人々が催す年に一度の回祭。文庫に収録されていて既読の短編もありましたが、極端に変化した環境で人はどのように考え行動するのか。多く人が仕方ないと受け止める中、それに抗い不器用な愛に生きる人たちの姿がとても印象的でした。
牛は食べたいが動物は殺したくない。そんな人類の夢が実現した未来を描いた表題作ほか、大正電気女学生、石油玉、現代の箱男などが大活躍する奇想天外な14編の作品集。化学的に合成された牛球、「犯罪者には田中が多い」という架空の差別と作家業、未来職安の元ネタとなった交通安全責任課、家にいる人間のふりをしている妻、ラジオで未来を聞く大正電気女学生、南宋~元時代の授時歴への改暦と天文学者、広島の原爆不発弾など、あとがきから読む限りでは、著者の思い付きや意外な着想から描かれた作品もわりとあったようですが、 読んでいてじわじわと来るなかなか味のある作品が多くて面白かったです。
10.少女小説とSF (星海社FICTIONS)
日本SF作家クラブ/嵯峨 景子/orie/新井 素子/皆川 ゆか/若木 未生 星海社 2024年03月28日頃
世代を超えて集結した少女小説作家たちが、少女小説とSFの可能性を解き放つ、日本SF作家クラブ企画によるSF小説アンソロジー。企画に参加された新井素子さん、皆川ゆかさん、若木未生さん、津守時生さん、ひかわ玲子さん、榎木洋子さん、雪乃紗衣さん、紅玉いづきさん、辻村七子さんがそれぞれ持ち味を活かして書かれたSF設定の短編と、その著者さんについて嵯峨景子さんが解説やコラムを掲載する構成になっていて、解説に掲載されていた昔読んたことのある作品を思い出して懐かしさを覚えたり、それぞれの作品をもっと長編の形でじっくりと読んでみたいと思ったり、ひとつひとつの作品がとても素敵な珠玉の短編集になっていました。
11.沙を噛め、肺魚
沙嵐に覆われてしまった世界。何よりも安定を目指すようになっていた人々の中で、クリエイターを目指す少年少女たちを描いたディストピア小説。安定した仕事で稼いで、機械が作り出した娯楽を享受して、安全で快適な街で過ごすことがささやかな幸せになりつつある状況で、周囲に反対されながら好きな音楽を続けるために音楽隊に入りたい少女ロピ。一方で好きなことに一生懸命な友人に劣等感を抱いて夢中になれるものを探す少年ルゥシュ。沙嵐に脅かされたり、将来的な絶望まで突きつけられながらも、機械任せではない、自らが生み出すことを諦めずに追い求め続けた2人が、様々なものと出会い、大切なものを見出してゆくそれぞれの結末が印象的な物語になっていました。
ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅
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高野 史緒 講談社 2024年05月23日頃
作家は、小説は、本は、どんな未来に向かっているのか。本を愛しすぎている人たち<ビブリオフォリア>の紡ぎ出す5つの物語。読書に関する特殊な法律により一定期間で本が抹消されてしまう世界の読者と書き手の想い、正確に訳すことが限りなく不可能なマイナー言語の日本で唯一の翻訳者、小説を斬りまくる文芸評論家が出会う絶対に書評できない本、書けなくなり苦悩する元・天才美人女子大生詩人のたったひとつの願い、本の魔窟に暮らす蔵書家が訪れた不思議な古本屋。もし特殊な世界で自分がそんな立場に置かれたら…とつい考えてしまうシチュエーションでは、登場人物たちの様々な生々しい思いや、ついこぼれてしまった本音が垣間見えてハッとさせられました。
13.あなたに心はありますか?
交通事故で家族を失い、自身も車椅子生活を余儀なくされている東央大工学部特任教授・胡桃沢宙太。AIロボットに心を持たせるべくプロジェクトを進める彼の葛藤苦悩と葛藤の物語。世間の耳目を集める盟友の二ツ木教授、助手の結衣と取り組む産学官共同の巨大研究開発プロジェクト。しかし講演会で倒れ帰らぬ人となったパネリストの教授から始まる、胡桃沢のもとに届く連続殺人予告、そして軍事利用に応用すべくプロジェクトを都合のいいように変えようとするライバル教授の存在。暗雲漂う中に感じる違和感、それでも何とかしようと懸命にあがき続けた先に待っていた、思ってもみなかった切ない結末には驚かされましたけど、それには確かに心が宿っていたと信じたくなりました。
トゥモロー・ネヴァー・ノウズ
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宮野 優 KADOKAWA 2023年04月28日頃
最愛の娘を辱め殺したのに、少年法に守られのうのうと生きている男に復讐を果たした母。しかし我に返ると復讐を決意した瞬間まで引き戻されていたことに気づく連作SF短編集。犯人を何度殺しても殺しても終わらないループ、先に進まない時計。そのうち感染するかのようにループが広がっていって、記憶がリセットされてしまうステイヤーよりも、記憶を維持するルーパーの数が増えてゆくことで崩壊しつつある秩序。混沌とした繰り返しの日々に自分が直面したらどう向き合うのか。そういう状況になってしまえば、それに絶望する人もいれば、悪用する人もいるんだろうな…と思いながら読んでいましたが、それでもいつか終わるかもしれないと信じて、真摯に生きる人たちの姿がとても印象的な結末でした。
15.神々の歩法 (創元日本SF叢書)
西暦2030年、砂に埋もれて廃墟と化した北京へ現れた神のごとき存在。彼を倒すために突入した米軍戦争サイボーグ部隊の精鋭たちが、同じような力を持つ一人の少女ニーナと出会うアクションSF。魚座の超新星爆発によって、地球に飛来してきた超高次元生命体に憑依されてしまった存在。普通の人間には対処できないその破壊神のごとき存在に対処するために、協力して脅威に挑んでゆくニーナと仲間たち。時にはぶつかり合いながら一緒に危機に立ち向かいつ続ければ、そんな特殊なチームにも絆や一体感めいたものが生まれてくるわけで、往々にして権力者はそれを危険視してチームを解体したくなるんですよね…機能しなることも多いから、それがあまり上手い手だとは思わないんですけど(苦笑)
16.ときときチャンネル 宇宙飲んでみた (創元日本SF叢書)
ときときチャンネル 宇宙飲んでみた
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宮澤 伊織 東京創元社 2023年10月31日頃
配信サービスで《ときときチャンネル》を始めた十時さくらが、同居人のマッドサイエンティスト・多田羅未貴の発明を紹介し、チャンネル登録者1000人超えで収益化することを目指す動画配信者SF。動画配信で収益化を目指すさくらが、配信を面白くするために引っ張り込んだマッドサイエンティスト多田羅。宇宙を飲ませたり時間を飼ってみたり、家の外に出たり近所を散策してみたら変なことになっていたり、わけありエキゾチック物質が出てきたり、変なものを呼んで登録者数が変なことになったりと、多田羅が次々と繰り出すネタのわけがわからないヤバさに笑ってしまいましたが、身長差45センチのコンビもなかなか良かったですし、どう見ても普通じゃない展開の連続を作中の視聴者たちと一緒に楽しめました。
西暦2096年。囮捜査で捕まった犯罪集団アサヒナ・ファミリーの朝比奈伊右衛郎が、巨大複合企業ハニュウ・コーポレーションCEOの羽生氷蜜により、羽生芸夢学園に強制入学させられる近未来サイバーパンクアクション。彼の持つポテンシャルに惚れ込んだ氷蜜の提案する更生プログラムとして、電装化体験型遊戯ジャケットプレイの特殊訓練を受けることになった伊右衛郎。魅力的な氷蜜たちと送る学園生活に少しずつ心境が変わりつつある彼が、ファミリーを率いて学園を襲撃した父レインボウや兄弟たちと対峙する展開で、強大な力を持つレインボウ相手に厳しい戦いを強いられる中で、暴かれてゆく水蜜の秘密に直面することになった伊右衛郎が、父を乗り越える戦いに挑む熱い展開はなかなか良かったですし、彼らが迎える結末もまた印象的な物語になっていました。
18.なめらかな世界と、その敵 (ハヤカワ文庫JA)
なめらかな世界と、その敵
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伴名 練 早川書房 2022年04月20日頃
いくつもの並行世界を行き来する少女たちの1度きりの青春を描く表題作ほか、テイストの違う独特な世界観が描かれた6つのSF連作短編集。ゼロ年代SF論、脳科学とインプラントと複雑な想いが交錯する愛憎劇、ソ連とアメリカの超高度人工知能を巡る争い、未曾有の災害で新幹線が陥った低減世界など、それぞれの作品らしい良さが感じられて面白かったです。個人的には「美亜羽へ贈る拳銃」「ひかりより速く、ゆるやかに」が好み。相手を思う真摯な気持ちの中にも複雑な想いが入り混じるからこそ明示されない結末がとても印象的なものに思えました。
19.タイタン (講談社タイガ)
野崎 まど 講談社 2023年01月17日
至高のAI『タイタン』のサポートで、人類は仕事から解放され自由を謳歌する未来。心理学を趣味とする内匠成果を世界でほんの一握りの就労者ナレインが訪れ、彼女に仕事を依頼する近未来SF。突如として機能不全に陥ったタイタンAIのカウンセリングを託されることになった成果。仕事という概念がない世界で様々なことを考察することや、働くことの意味、仕事しかしたことがないコイオスと共に旅する中で目にする様々な出来事、そんな中でコイオスの成長や彼女自身の心境の変化もあって、未来に生きるとはどういうことか、現段階ではあまりこういう世の中を想像できないですけど、いろいろと可能性を垣間見せてくれる物語でなかなか面白かったです。
20.スター・シェイカー (ハヤカワ文庫JA)
人類がテレポート能力に目覚めた近未来。不慮の事故がトラウマとなり能力を失った赤川勇虎が、違法テレポートによる麻薬密売組織から逃亡した少女ナクサと運命的な出会いを果たす物語。ふとしたきっかけから出会った特殊なテレポーターであるナクサにうっかり関わってしまったことで、否応なしに彼女の逃亡生活に巻き込まれてゆく勇虎。失われた地に住むロードピープルたちの助けを借りて、様々な人と出会い、敵の襲撃に対応しながら目的地である組織の拠点に向かう展開でしたけど、そこで明らかになってゆく壮大な計画があって、苦悩しながらも勇虎が立ち向かってゆく熱い展開は、文章がやや難解で粗削りながらもスケールの大きさを感じさせてくれる物語になっていました。
21.サーキット・スイッチャー (ハヤカワ文庫JA)
人の手を一切介さない完全自動運転車が急速に普及した2029年の日本。自動運転アルゴリズムを開発する企業の代表・坂本義晴が、仕事場の自動運転車内で襲われ拘束されてしまう近未来小説。「ムカッラフ」を名乗る謎の人物に突如拘束され、「坂本は殺人犯である」と宣言し尋問を始めた犯人からとある死亡事故が起きたロジックの説明と開示を要求された坂本。襲撃犯の様子が動画配信で中継される中、首都高封鎖が要求されて封鎖しなければ車内に仕掛けられた爆弾が爆発する緊迫感溢れる展開で技術的なネタも多くて完全自動運転の倫理観を改めて問われる中、エンジニアと組んだ刑事が意外なルートからのアプローチでその真相に迫ってゆくストーリーはテンポもよくてなかなか面白かったです。
22.法治の獣 (ハヤカワ文庫JA)
春暮 康一 早川書房 2022年04月20日頃
あたかも罪と罰の概念をもつかのように振る舞う異星の草食獣シエジーたちの衝撃的な秘密を描く表題作を含む、3つの宇宙SF中短編。近隣の海洋惑星への調査行で集合的精神体を持つルミナスに遭遇した探査チームが直面する衝撃的な悲劇、知性を持たず群れ単位で法を作るシエジーを使った社会実験の結末、生体の迷宮状態「方舟」のカオスな状況が描かれていて、知性を持った生命体とのファーストコンタクトで痛感する人類側の対応の難しさや、それによって何が引き起こされてしまうのか、ひとつひとつの描写を積み重ねていった先にあるそれぞれの結末がとても印象的な物語でした。
23.天才少女は重力場で踊る (新潮文庫nex)
卒業単位欲しさに研究室で訪れた大学生・万里部鉱が、不機嫌な17歳の飛び級天才少女と出会い、うっかり未来を観測してしまう青春SF小説。目鼻立ちは整っているけれど、異様なまでに不機嫌な少女・三澄翠との第一印象最悪の出会い。そんな状況で彼女が共に研究を進める老教授・一石に連れて行かれた先で見た、自分と世界の存在を不安定なものにしてしまうタイムマシンの存在。その未来を変えないために彼がお世話することになった、天才で生活が破綻している翠が際立っていましたが、ごく短期間で急速に進む彼女の理解と二人の間に育まれる確かな絆があって、未来から過去への干渉というタイムパラドックステーマの中、迷いなく定まっていく彼の覚悟が印象的な物語でした。
24.電気じかけのクジラは歌う (講談社文庫)
電気じかけのクジラは歌う
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逸木 裕 講談社 2022年01月14日
人工知能が作曲をするアプリ「Jing」が普及し、作曲家の仕事が激減した近未来。「Jing」専属検査員になった元作曲家・岡部の元に、自殺した現役作曲家で親友の名塚から未完の新曲と指紋が送られてくる近未来ミステリ。名塚から託されたものの意味と、事故で右手が不自由になった名塚の従妹・梨紗の苦悩、そして「Jing」を作り出した霜野の野望。「Jing」で気軽に音楽を作れてしまう中、あえて自分の手で音楽を作り出す意味に葛藤しながらも、秘められた名塚の想いに気づいてゆく展開は著者さんらしさがよく出ていて面白かったです。
25.シュレーディンガーの少女 (創元SF文庫)
シュレーディンガーの少女
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松崎 有理 東京創元社 2022年12月12日頃
様々なディストピア世界でたくましく生きのびる女性たちを描いた、コミカルでちょっぴりダークな連作短編集。全ての65歳にプログラムされた死が訪れる世界、肥満者たちを集めて公開デスゲームを開催する健康至上主義社会、あらゆる数学を市民に禁じて違反者を捕らえている王国、日々の食卓から秋刀魚が消え失せてしまった未来。その特殊な設定の世界ならではの特有の事象や、そこで生きる人々にもそれぞれの矜持が感じられて、それがもしなかったり禁じられたりしたらどうなるのか、いろいろと想像したり考えたりしながら楽しく読むことができました。
26.AI法廷の弁護士 (ハヤカワ文庫JA)
複雑化する訴訟社会にあって、AI裁判官が導入された日本。あくまで機械として冷徹に分析する不敗弁護士・機島雄弁とこの国の正義をめぐるAI法廷が描かれる連作ミステリ。省コスト化・高速化により訴訟件数は爆増、法曹界は困惑とともにバブルなAI法廷を受け入れ始めた状況で、AIの穴をついて勝訴するハッカー弁護士の顔も持つ悪徳漢・機島が助手の軒下と組んで挑む、被告人を裏切りながら勝訴した殺人事件、脳波義足事故を巡る真相、不正データ使用リーク事件の再審請求、陥れられた軒下とマスターキー裁判。苦い過去の事件の真相やAI裁判官の疑惑も追う展開はやや強引な拡大解釈もありましたけど、アクの強いキャラたちがダイナミックな方法で盤面をひっくり返してゆく展開は痛快でなかなか面白かったですね。
27.グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船 (ハヤカワ文庫JA)
幼い頃にグラーフ・ツェッペリン号を見た不可解な記憶を持つ、それぞれ並行世界の2021年を生きる夏紀と登志夫。そんな二人の世界が繋がるSF青春小説。月と火星開発が進みながらもインターネットが実用化されたばかりの夏紀の世界。一方、宇宙開発は発展途上だが量子コンピュータの開発・運用が実現している登志夫の世界。それぞれの視点としてそれぞれ進んでいた二つの世界の物語。それがだんだん絡んでくるまでがやや長かった感もありましたが、そんな中で育まれてゆく確かな二人の絆を感じる一方で、意外な答えが提示されたその結末でしたけど、かけがえのない思い出を噛み締めながらも、思いのほかあっけらかんとしていたのが印象に残る物語でした。
28.南海ちゃんの新しいお仕事 階段落ち人生 (ハルキ文庫)
常に転んでばかりで周囲に粗忽姫と呼ばれる高井南海。その特異体質に気づいた御曹司の超能力者・板橋さんと組み、「世界と人々を救う」仕事に乗り出す現代ファンタジー。多くの人々が意図せずひっかかり、事故の原因となっていた見えない空間の亀裂。この空間の各所にあるヒビを修復していたことを、そのヒビを靄として検知できる板橋さんに教えてもらい、副作用で物体を治す力を利用する「修復課」を立ち上げる二人。とはいえ練馬区・板橋区あたりの靄を二人で探す姿は傍から見たら怪しさ満載なのは間違いなくて、何でも直していけばそういう発想になるよな…とも思う展開でしたけど、着想から結末まで著者さんらしさがよく出ていてなかなか面白かったです。
29.バイオスフィア不動産 (ハヤカワ文庫JA)
バイオスフィア不動産
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周藤 蓮 早川書房 2022年11月16日頃
住民に恒久的な生活と幸福を約束するバイオスフィアⅢ型建築。それを管理する後香不動産の社員として働くアレイとユキオは、独自に奇妙な発達を遂げた家々の問題に向き合ってゆく近未来小説。新時代住居の浸透により類の在り方が大きく様変わりした未来。引きこもる個々の住居からのクレームで直面する、査問神殿で見つかった鎮痛剤、自給自足を標榜するコロニー、大人になれない大人たち、左右対称の隣人トラブル。現代の感覚からすると当事者たちの異常性を感じずにはいられませんが、一方で置かれた状況から考えると納得してしまう部分もあって、そんな矛盾する問題に向き合って答えを見出してゆく中で、少しずつ変わってゆくコンビの距離感が効いていてなかなか面白かったです。
30.ピュア (ハヤカワ文庫JA)
地上に棲む男たちを文字通り食べることが必要とされる変わり果てた世界で葛藤する女の子を描いた表題作ほか、性と人間のありように鋭く切り込む全六篇の短編集。常識が激変してしまった未来で、それでも大切な存在のために生きようとした少女の葛藤、幼馴染の性的な変身をめぐって揺れ動く複雑な思い、身近な友人が別の何かに転換した時にどう振る舞うべきなのか、未曾有の実験により12人の胎児の母となった研究者、ピュアの別視点から描かれた物語、サイボーグ化した少女娼婦と病弱な令嬢のコンタクトなど、最初はジェンダー的なテーマの短編集なのかなと思っていましたが、そんな枠には収まらないスケールで価値観を揺さぶってくる強烈なインパクトある一冊になっていました。