10月はインパクトのある面白い新作が多くて、整理するのがわりと大変でした(苦笑)その中でおすすめを挙げていくと、ライトノベルではやはりガガガ文庫のカミツキレイニーさんの「魔女と猟犬」、GA文庫「厳しい女上司が高校生に戻ったら俺にデレデレする理由」「僕の軍師は、スカートが短すぎる」、学園ファンタジーとしては「七人の魔剣姫とゼロの騎士団」にも今後期待したいところ。
ライト文芸では白川紺子さんの「九重家献立暦」、イヤミスとしてインパクトがある「死者と言葉を交わすなかれ」の講談社タイガ2作品、富士見L文庫「京都烏丸のいつもの焼き菓子」あたりはなかなか良かったですね。一般文庫では佐々木匙さんの角川文庫「水神様がお呼びです」天沢夏月さんの「17歳のラリー」が注目でしょうか。
単行本は今回読んだ冊数が意外と多かったですが粒ぞろいで甲乙付けがたい感じで、どれを読んでも面白い作品としておすすめできるラインナップです。個人的な好みで綾崎隼さんの「盤上に君はもういない」と朝井リョウさんの「スター」を挙げておきます。
魔女と猟犬 (ガガガ文庫)
魔術師を多数擁する王国アメリアに脅かされる小国キャンパスフェロー。領主バドは王国に対抗すべく大陸全土の凶悪な魔女たちを集める起死回生の奇策に出るダークファンタジー。隣国にて惨劇を引き起こした魔女を引き受けるべく、レーヴェに向かったバド一行。彼や娘の護衛として同行した黒犬と呼ばれる少年・ロロたちが巻き込まれるレーヴェの謀略や、アメリアの魔術師たちとの激突もあって、未だ先の見えない混沌とした状況で魔女集めはどうなるのか、今回生まれたいくつもの因縁がこれからどう活きてくるのか、いろいろ楽しみな新シリーズですね。
厳しい女上司が高校生に戻ったら俺にデレデレする理由 (GA文庫)
厳しい女上司が高校生に戻ったら俺にデレデレする理由〜両片思いのやり直し高校生生活〜(1)
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徳山銀次郎/よむ SBクリエイティブ 2020年10月15日頃
上司で課長の上條透花に頭が上がらない毎日を送る冴えない部下・下野。ある日二人で飲んでいた彼が、透花と一緒に高校時代へタイムリープするやり直しラブコメディ。これはチャンスと高校の先輩だった憧れの透花へアプローチする下野、実はずっと好きだった下野へここぞとばかりにデレる透花。真相が判明した時の透花のくっ殺系ヒロインっぷりには笑いましたが、両片想いなのにどこか会社員時代の感覚が抜けきれない二人は、友人や幼馴染・妹を巻き込みながらの展開でもやや空回り気味で、いい感じになり切れないその距離感がなかなか良かったです。
僕の軍師は、スカートが短すぎる~サラリーマンとJK、ひとつ屋根の下 (GA文庫)
僕の軍師は、スカートが短すぎる~サラリーマンとJK、ひとつ屋根の下(1)
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終電帰りが日常の史樹が救った家の前にうずくまる女子高生・穂春。助けてもらったお礼として、彼女が史樹の抱える仕事上のトラブルをたちどころに解決してみせる同居生活ラブコメディ。妹と一緒に住むために定時帰りしたい史樹と、身を寄せるところを探していた穂春。利害が一致した史樹が、軍師とあだ名される穂春のアドバイスに頼ったことで一変してゆく日常生活。ラブコメとしてはこれからに期待という印象でしたけど、穂春が抱える事情も絡めながらテンポ良く描かれる二人の関係や、それぞれの家族のエピソードもまたいい感じに効いていました。
七人の魔剣姫とゼロの騎士団 (MF文庫J)
大陸中を魔物が跋扈し、騎士団が過去の遺産が眠る飛島を巡る世界。キールモール魔術学園に突如現れた赤毛の転入生・ナハトが、七人の魔剣姫が支配する学園に挑む魔剣の学園ファンタジー。転校早々七つの魔剣全てを手に入れて伝説の騎士団を蘇らせることを目標に掲げ、周囲を敵に回すナハト。力を示すバトルが日常の学園で、案内役だった魔剣姫の一人・シャーロットを相棒に、騎士団を結成した彼が挑むヒロインの魔剣姫たちや飛島探検という構図は王道で面白くなりそうですね。今回で飛島の謎や学園の裏側も垣間見えて今後が楽しみな新シリーズです。
ねえ、もっかい寝よ? (電撃文庫)
高校生になって久しぶりの再会を果たした幼馴染の忍と静乃が、添い寝で少しずつかつての距離を取り戻していく甘い青春ラブコメディ。慣れない新生活による不眠症、約束のすれ違いと、二人にとって最悪なスタートとなった高校生活。けれどひょんなことから一緒に添い寝をすれば眠ることができると気づいた二人が、成長したお互いの変化に戸惑いながらも、添い寝で絆を深めてゆく展開はなかなか良かったですね。約束の行方や価値観のズレといった未解決の課題も多いですけど、これから二人でどう乗り越えていくのか今後の展開に期待のシリーズですね。
僕に興味をなくした元カノと幼馴染な今カノがなぜか修羅場ってる (角川スニーカー文庫)
僕に興味をなくした元カノと幼馴染な今カノがなぜか修羅場ってる(1)
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急川回レ/magako KADOKAWA 2020年10月30日
罰ゲームで学園一の才媛・夏川雫に告白したら、男よけの偽装恋人として付き合うことになった小森翔太。なのにいつの間にか翔太を本気で好きになってしまった恋愛偏差値が低すぎる夏川さんの空転ラブコメディ。自分が振ったと勘違いされた挙げ句に再会した幼馴染と翔太が急接近。彼を取り戻すべく夏川が弟を頼り、その彼女もまたすれ違いや勘違いに巻き込まれ、誰もが情報不足ゆえに果てしなく迷走するカオスな展開はヤバかったです(苦笑)発想が斜め上でなかなか素直になれない夏川さんの恋の行方は果たしてどうなるのか、続巻に期待したいですね。
九重家献立暦 (講談社タイガ)
就職活動がうまく行かず、とある事情で故郷に戻った九重茜。旧家の実家で昔と変わらぬ頑迷な祖母、居候として住み着いていた母の駆け落ち相手の息子・仁木一と同居する家族の物語。祖母に厳しく育てられ、嫌でも母を意識せざるをえなかった茜。彼女と祖母の複雑な距離感、そして九重家の年中行事を調査すべく同居する仁木という構図は、三者三様の深い悔恨を抱えていて、その元凶となった茜の母・景子の業の深さを改めて痛感する展開でしたけど、本音でぶつかり合ってようやく向き合えた不器用な彼女たちの変わりつつある関係が印象的な物語でした。
死者と言葉を交わすなかれ (講談社タイガ)
不狼煙さくらは探偵・箒山との浮気調査中に、調査対象の突然死に遭遇。病死とされたものの仕掛けた盗聴器からは死者との会話が流れ出して、真相を追う二人は予想だにしない悪意に出会うミステリ。調査対象が突然死する直前に話していた、話し声が聞こえない相手は誰だったのか。不狼煙と箒山のダブル女子探偵を中心に、調査対象の妻や実家、贔屓のバーなどで聞き込みした中で見出す些細なヒント、そこから導き出されてゆく真相には唸らされましたが、だからこそ事件解決の裏に隠されていた驚愕の事実に、これまでの全てを覆された気分になりました。
愛に殺された僕たちは (メディアワークス文庫)
恋人に貢ぐため義母から保険金殺人の標的にされる高校生・灰村瑞貴。父親の身勝手な愛情により虐待され、殺されるのをただ待つだけの逢崎愛世。そんな歪んだ愛に苦しむ二人が出会ってしまう青春小説。お互い夢も希望もないからこそ気づいてしまうそれぞれの絶望。二人が見つけた連続殺人の予定が記された絵日記から始まった共犯関係。お互いにどんどん追い詰められてゆく容赦ない展開の連続で、二人で思い描いてしまったちっぽけな希望が切なくて、相手のためにという選択をどう受け止めるのか、その意味をいろいろと考えさてしまう結末でした。
京都烏丸のいつもの焼き菓子 母に贈る酒粕フィナンシェ
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古池 ねじ/イナコ KADOKAWA 2020年09月15日頃
無愛想でしゅっとした菓子職人と可愛い店員さんが営む和の食材を使った京都の小さな焼き菓子屋「初」。丁寧に作られた心が満たされるお菓子を愛する人々の物語。自分らしく生きたいデザイナー、常連のドイツ人大学教員とその教え子、お店のお菓子に魅せられて京都にやってきた就活生、そして店長と店員さんと両親のこと。食べたくなるようなお菓子の描写も素敵ですが、誰もが素直になれない一面を抱えていて、そんな不器用な登場人物たちのはっとするような繊細な想いを巧みな視点で浮き彫りにして、導かれてゆく結末がとても印象に残る物語でした。
京都岡崎、月白さんとこ (集英社オレンジ文庫)
優しかった父が死んで身よりを失った女子高生の茜と妹のすみれ。親戚の家で肩身の狭い思いをしていた彼女たちを、親戚筋で京都岡崎にある「月白邸」に住む青年・青藍が引き取られる家族の物語。酒浸りの破綻した生活を送る人間嫌いで変人という噂の青藍と、入り浸る明るい絵具商の青年・陽時。最初ぎこちなかった関係も茜の餌付けやすみれのあどけなさに少しずつ変わっていって、陽時の特別な人のエピソードは切なかったですけど、家の事情に振り回され続けた彼らが、その不器用な関係に大切な絆を見出してゆく結末にはぐっと来るものがありました。
未だ青い僕たちは (スターツ出版文庫)
雑誌の読モをしている高校生・野乃花が隣の席になったアニメオタクの原田。実はSNSでアニメ界のカリスマだった原田と正体を隠して交流するうちに、だんだん心境が変わってゆく青春小説。窮屈な現実世界では一切交わりがないのに、ネットではいろいろと話すようになって、お互い必要不可欠になってゆく二人。不器用な野乃花が踏み出した一歩を受け止められない原田の劣等感がまたじわじわ来ましたけど、様々な出来事を通してかけがえのない存在として自覚してゆく二人と、けれどそう簡単には変われないもどかしい距離感がなかなか良かったですね。
吉原水上遊郭 まやかし婚姻譚 (ポプラ文庫ピュアフル)
明治44年に起きた吉原大火ののち、東亰・隅田川に返り咲いた水上遊郭。大火で両親を亡くし客を送迎する番人見習いの船頭になった利壱が、長春楼楼主に頼まれ娼妓見習いのツバキを切見世へと連れていく時代小説。吉原大火の結果として再構築された水上遊郭を舞台に、想いを通わせてゆくツバキと吉原で生まれ育った絵師の許されない恋。しかしツバキに目をかけていた廣川は水上吉原を牛耳る老獪な存在で、絶望的な状況で仕掛けられた謀略の行方にはドキドキしましたけど、そこからの急展開と思ってもみなかった結末にはぐっと来るものがありました。
星と脚光 新人俳優のマネジメントレポート (講談社タイガ)
苦い過去を乗り越えて弱小芸能事務所に転職したまゆりが、オーディションで天真爛漫な新人俳優マコトに目を付け、その破天荒な行動に振り回されながら二人三脚で頑張るお仕事青春小説。ショッキングな過去を引きずり引きこもっていたまゆりが見出した、いろいろド素人だけれど光るものを持ったマコト。弱小事務所のド素人同然の新人俳優ゆえに思わぬ暴走があったり、大手事務所の妨害もあって、舞台デビューもいろいろ波乱含みでしたけど、苦しい過去を乗り越えて盛り上がってゆく終盤にはグッと来るものがありましたね。続巻あったら読みたいです。
千駄木ねこ茶房の文豪ごはん 二人でつくる幸せのシュガートースト(1)
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山本 風碧/花邑まい KADOKAWA 2020年09月15日頃
社畜生活に疲れ果て会社を休職中の亜紀。そんな彼女が倒れた祖母に「店を守ってくれ」と頼まれ、店の前に行き倒れていた見知らぬ美男子・寒月と、漱石の生まれ変わりを名乗る喋る不思議な黒猫と出会う物語。料理はできそうだけれど、カフェ経営の知識ゼロの未経験者なのに見切り発車する亜紀には勇気あるなあと思いましたけど、猫の漱石と的確な指示を出す寒月さんのサポートもあって、自身の忘れていた幼い頃の夢も思い出しつつ、ワケアリな寒月との関係も何とか乗り越えて、試行錯誤の末にらしいお店を見出していく展開はなかなか良かったですね。
水神様がお呼びです あやかし異類婚姻譚 (角川文庫)
美形だがマイペースな1つ上の幼馴染天也と、平和な毎日を送るお人好しの高校生・美月。しかし突然、不可解な現象に立て続けに襲われ、それが水神様からのプロポーズであることを知る異類求婚ファンタジー。綺麗な緑色の石の雨が降り注ぎ、解読不能な手紙が届く神様の暴走には苦笑いでしたけど、天也や兄の公太を頼りながら求婚を断ろうと奮闘する中で、天也への想いを自覚していく美月がいて、明かされるご先祖様と水神の因縁、そして天屋たちの秘密があって、懸命に向き合って本当に大切な想いを見出す優しい結末にはぐっと来るものがありました。
17歳のラリー (角川文庫)
十七歳の春。突如明かされた三年生のエース川木の渡米が平凡な都立高校テニス部に引き起こした波紋。絶対的な才能を持つ彼に対し、なかなか言い出せなかった仲間達の様々な想いが明らかになってゆく青春群像劇。突如明かされた途中で退学も厭わない決意表明に、ダブルスの相棒、女子部のエース、ゆるい部員、幼馴染のマネージャー、部長たちそれぞれの視点から彼への複雑な想いが綴られてゆく展開でしたが、関わってきた川木にもまたいろいろ思うところがあって、そんな連鎖的に明らかになってゆく等身大の熱い想いがなかなかぐっと来る物語でした。
僕の目に映るきみと謎は (角川文庫)
異常な世界が日常に視えてしまう女子高生・祀奇恋子。彼女と幼馴染・真守が、親友から怪しい人形を渡された女子生徒の相談を受け、「除霊推理」で恋子と真守のコンビが怪異を暴くオカルトミステリ。5W1Hを駆使して真相に迫り除霊する恋子と異界に繋がる扉を閉じることが出来る真守。当たり前のように怪異が視えてしまう日常で、怖がりのくせに逃げない幼馴染を守る二人の関係がなかなか絶妙で、相手を呪い殺す「トモビキ人形」を巡る真相とその結末もまたなかなか壮絶なものがありましたけど、そんな二人の物語をまた読んでみたいと思いました。
古着屋・黒猫亭のつれづれ着物事件帖 (宝島社文庫)
婚活も諦めこれから淡々と生きていくはずが、不運で全てを失ってしまった波子・三十三歳。伝手を頼って香川県・琴平に移住した彼女が古着屋・黒猫亭の店主マリイと出会い、勧められるがままに着物にハマってゆくミステリ。思ってもみなかった急展開、そして全てを喪った波子と着物の出会い。マリイを通して店の常連だというカコから着物を譲り受け文通を始めた彼女が、いつのまにか着物で生活するようにまで慣れ親しむようになり、様々な日常の謎を解いてゆく展開でしたけど、最後にさらっと明かされた意外な秘密にはちょっと驚かされました(苦笑)
盤上に君はもういない
将棋のプロ棋士を目指す者たちにとって最後の難関、奨励会三段リーグ。観戦記者の佐竹亜弓がそこで全てを賭けて戦う二人の女性と出会う将棋小説。棋士を目指して奨励会に挑む永世飛王を祖父に持つ天才少女・諏訪飛鳥と、両親から応援されずに勘当され病弱ながら年齢制限間際で挑戦する千桜夕妃。岐路でたびたび激突する彼女たちの負けられない壮絶な激闘が熱かったですが、それぞれの将棋を形作ってきた濃密な背景があって、受け継がれてゆく熱い想いもあって、そんな二人に関わる天才少年・竹森や記者たちの存在がなかなか効いていたと思いました。
スター
新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞した立原尚吾と大土井紘。大学卒業した二人が名監督への弟子入りとYouTube発信という真逆の道を選ぶクリエイター小説。名監督の助監督になったものの自分の作品をなかなか表に出せない尚吾の葛藤、YouTubeで注目を集めながらそのクオリティに疑問を感じてしまう紘。同様に激変する表現者の世界に対する紘の仕事仲間、尚吾の先輩や同棲相手、後輩たちの苦悩や試行錯誤で実感のこもった言葉が突き刺さりましたけど、彼らが追い求めた先に見えてくるそれぞれの形がとても印象的な物語でした。
CAボーイ
パイロットの夢を諦め外資系ホテルで敏腕ホテルマンとして働いていた入社5年目の高橋治真。そんな彼がNALのCA配属前提の総合職募集を知り航空業界に飛び込むお仕事小説。治真が出会うプロ意識の高い先輩CA紫絵、グランドスタッフ茅乃、指導教官オブライエン。そして絆が深い大学時代の友人たちとパイロットだった父の秘密。航空業界ネタも面白かったですが、とびきり有能なのに苦い過去を抱えどこか危うい治真と周囲の関係がほんといい感じで、真相を知った治真がこれからどうするのか、二人の関係がどうなるのか続きが読んでみたいですね。
生まれつきの花: 警視庁 花人犯罪対策班
常人と少し異なる遺伝子を持ち、容姿端麗で頭脳明晰に育ちやすい傾向の「花人」。これまで犯罪検挙歴がなかった花人が容疑者とされる殺人事件が連続して発生、警視庁捜査一課の竜牙が花人の刑事・此葉と事件を追う警察ミステリ。社会的に認められやすい一方で、常人から疎まれることも多い花人という難しい少数派の立場があって、それが花人が犯人とされる殺人事件が続くことで社会的にも危機に陥ってゆく展開でしたけど、そういった状況でも事態を冷静に見極めて、隠されていた真相にたどり着く竜牙と此葉のコンビにはぐっと来るものがありました。
沖晴くんの涙を殺して
病気で余命一年の宣告を受けて教師を辞め故郷に戻ってきた桶場京香。そこで北の大津波で家族を喪い引っ越してきたという、笑うだけの不思議な高校生・志津川沖晴と出会う物語。常に微笑み、スポーツ万能で一度覚えたことは忘れず、驚異的な治癒力を持った沖晴が抱える秘密と孤独。感情を失った沖晴と余命のない京香の出会いをきっかけに、少しずつ沖晴が自らの感情を取り戻す展開でしたけど、様々な想いを積み重ねていった結末は残酷で、けれどその忘れられない思い出を胸に刻みながら、未来へと希望を見出してゆく姿がとても印象に残る物語でした。
モテ薬
新進気鋭の美人研究者水澤鞠華が発表したモテ薬。そのセンセーショナルな発表は再現性や論文の不備から捏造疑惑を糾弾されるようになり、そんな状況で指導教授の吉見が研究室で遺体として発見されるサイエンスミステリ。モテ薬は本当にあるのか、吉見教授の死の真相とは何か。科学誌の女性記者・田中の視点で、吉見のライバル教授、出入り業者、共同研究者や吉見の妻たちを取材する中で明らかにされてゆく、モテ薬と鞠華の壮絶な周辺事情。けれどそこから浮かび上がる鞠華自身はどこまでも真摯な研究者でしかなくて、意外な結末もまた印象的でした。
汚れた手をそこで拭かない
夫に聞いた話から妻が気づいた可能性、夏休みのうっかりミスに青ざめた小学校教諭、隣家の電気代滞納のお知らせから気づいた真相、映画のクランクアップ後に起きた事件、元不倫相手と再会した料理研究家を題材としたお金を巡る5つの短編集。最初は些細なことがきっかけで、見逃したりやってしまったその小さな綻びから、思わぬ形で暴かれてゆく事件の真相。後ろめたい複雑な想いを抱えているからこそ、決定的に対処を間違えた代償は如何ともし難くて、誤魔化そうとした結果として顕在化したじわじわとくる後味の悪さがなかなか印象的な物語でした。
この本を盗む者は
巨大書庫「御倉館」を管理する家に生まれた本嫌いの高校生・深冬。ある日、入院した父の代わりに叔母を世話するために御倉館を訪れた時、蔵書が盗まれて祖母が仕掛けた本の呪いが発動してしまうファンタジー。本を盗んだ犯人を追って、不思議な少女・真白と一緒にいくつもの本の世界を冒険する深冬。明かされてゆく御倉家の過去や本の呪いの正体、そして真実に向き合い少しずつ変わってゆく深冬の成長があって、様々なものがあるべき姿を取り戻しつつある中、それでも変わらなかった本当に大切なものを取り戻す結末にはぐっと来るものがありました。
きのうのオレンジ
三十三歳の遼賀が受けた、あまりにも早い胃癌宣告。ショックを隠せない彼の元に、郷里の岡山にいる弟の恭平からかつて山で遭難した時に履いていたオレンジ色の登山靴が届く家族の物語。東京でレストラン店長をしていた遼賀、地元岡山で体育教師をする弟・恭平、そして通院していた病院で看護師として再会した矢田泉。兄弟には一緒に遭難を乗り越えた揺るぎない絆があって、矢田とは高校時代共に過ごしたかけがえのない思い出があって、遼賀を慕う彼らに支えられ、覚悟を決めて最後まで精一杯やりきったその結末には心揺さぶられるものがありました。
向日葵を手折る
父親が突然亡くなり、山形の山あいの集落に引っ越した小学校6年生の高橋みのり。そこで仲の良い二人の少年・怜と隼人に出会う青春ミステリ。分校の同級生と心を通わせはじめた夏、「向日葵流し」のために植えられていた向日葵の花が切り落とされた事件、時折見え隠れする不穏な向日葵男の存在。成長とともに少しずつ変わってゆくみのり・怜・隼人三人の関係があって、繊細だったその関係の裏にあった構図も明らかになってきて、子供ゆえのままならなさを突きつけられながらも、それでもその時の精一杯で頑張った結末がなかなか印象的な物語でした。
空想クラブ
祖父から受け継いだ「能力」によって、見たい風景を「見る」ことができる中学生吉見駿。小学生時代の親友・真夜の葬儀の帰り道、駿は河川敷で幽霊となった彼女に再会しする物語。彼女から明かされる死に至った経緯。自分だけが真夜の姿を見ることができると知った駿が、離れ離れになっていた仲間が置かれている事情を知り、時にはぶつかり助け合いながら絆を取り戻してゆく様子がかけがえのないものに思えたからこそ、真夜の死の真相は切なかったですが、最後まで目をそらずに向き合い、乗り越えて未来に繋がってゆく結末はなかなか印象的でしたね。
推し、燃ゆ
逃避でも依存でもない推しは背骨だと信じ、アイドル上野真幸を解釈することに心血を注ぐあかり。ある日突然推しがファンを殴ってしまい炎上してしまう推し小説。学校でもバイト先でもままならない日々を送る中で、祈るように推しを推していたあかり。炎上してからの推しを巡る状況の激変に、生きづらい日常の更なる悪循環も加わって、推しを推している時の充足感が感じられる一方で、推しや彼女自身のまさに坂道を転がるような暗転には無力感を感じましたけど、絶望しかない今を乗り越えて、いつか立ち直って欲しいと思わずにはいられませんでした。
ムシカ 鎮虫譜
スランプに悩む音楽大学の同級生5人が夏休みに訪れた瀬戸内海の小さな無人島・笛島。音楽の神が祀られる神社にお参りしようとした彼らが、虫の大群に襲われる虫×音楽ミステリ。牢屋に閉じ込められた巫女、襲ってくる大量の虫、居合わせたピアニストの少女&マネージャーコンビと、島に伝わる笛を狙う窃盗団。音大組は分断されて、窃盗団は因果応報のパニックホラー的展開でしたけど、探偵役の少女・奏や音大組の面々が関わることで虫の怒りを鎮める「鎮虫譜」の真実に迫り、悩める音大組たちの転機にも繋がってゆく結末はなかなか良かったですね。
震雷の人
安禄山の叛意が徐々に顕在化しつつあった唐・玄宗の時代。平原太守・顔真卿の下で大隊長を務める張永とその妹の采春の数奇な運命を描く中華小説。文官を目指し信念を曲げず敵陣の刃に倒れた青年・顔季明、彼の仇討ちを計るため故郷を出奔した許婚の采春、季明の遺志を継ぎ新皇帝のいる霊武へと向かった張永。激動の時代の自分ではどうにもならない運命のようなものが感じられて、それでも言葉で人を動かそうとする季明に影響された兄妹のその後は思ってもみなかった展開でしたけど、それぞれの信念の下に生きる彼らの姿がとても印象的な物語でした。