恒例の2025年下半期注目のおすすめ新作企画第5弾ということで、今回は新作文芸単行本編です。気になる作品があったらこの機会にぜひ読んでみて下さい。
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朝井リョウ 日経BP 日本経済新聞出版 2025年09月03日頃
沈みゆく日本の不安と孤独を背景に、ファンダム経済と沸騰する界隈、そして物語の持つ力を描いた現代小説。あるアイドルグループの運営に参画することになった、家族と離れて暮らす男。内向的で繊細な気質ゆえ積み重なる心労を癒やしたい大学生。仲間と楽しく舞台俳優を応援していたが、とある報道で状況が一変する女。運営側・熱狂する側・かつて熱狂していた側の視点が交錯する構成はまさに社会の縮図で、何かを信じることでしか生きられない人々たちが物語に身を委ね、視野を狭め安心を得る姿は、傍から見れば滑稽であっても当事者にとっては切実で、一方で狭めることでしか得られない熱狂や連帯の矛盾を描いた著者からの鮮烈なメッセージでした。
2.失われた貌
山奥で顔を潰され歯を抜かれ、手首から先を切り落とされた発見された死体。捜査にあたる媛上署の刑事・日野雪彦が、思わぬ事態に直面していく警察長編小説。不審者の警察対応が不十分という投書に上層部がピリピリする状況で起きた事件。それに生活安全課にやってきた自分の父かもしれないという少年、そして間をおかず起きた新たな殺人事件といった繋がりから、最初の死体の身元や背景も明らかになっていく中、何気ない会話や行動が後に意味を持ち始めて、張り巡らされた伏線を回収していきながら全てが繋がり、思いもかけない真相を見出していく展開はなかなか良かったですね。雪彦の人間味のある判断も彼らしくて、最後に明かされるタイトルに込められた意味も効いていました。
名探偵のように華麗に事件を解決する日を夢見る探偵事務所代表でミステリオタクの小石。相談員の蓮杖と進める地味な調査をきっかけに、意外な真相を目の当たりにしていくミステリ。実際は9割9分が不倫や浮気の調査依頼で、それでも色恋調査が「病的に得意」な小石が調査をこなす理由。女子高生が結婚を意識する彼氏の身辺調査、内縁の妻の素行を知りたい医師、そしてアイドルの嫁のことで脅迫される男が通報を忌避する理由。ふとしたきっかけから幾度も構図がガラリと変わる中、それぞれのエピソードが持つ意味も全く違った一面が見えてきて、積み重ねてきた忘れられない想いが複雑に絡み合う中、浮き彫りになってゆく思いもよらない真相には驚かされましたし、そこからたどり着いた結末もまた効いていました。
4.殺し屋の営業術
営業成績第1位、契約成立のためには手段を選ばない凄腕営業マン鳥井。彼がアポイント先で刺殺体を発見してしまい、殺し屋相手に交渉を始めるジェットコースターミステリ。「ビジネス」として家主の殺害を請け負っていた「殺し屋」の仕事の目撃者となってしまい、口封じとして消される運命から逃れるため、研ぎ澄まされた営業トークで殺し屋を丸め込み、まさかの殺人請負会社に入社した烏井が、2週間で2億円という営業ノルマを課されて始まる文字通り命がけの営業。単なる話術だけでなく、心理戦や情報収集も駆使して場の空気を掌握していく烏井の営業トークは圧巻で、ライバル企業との駆け引きをしたり、仲間とも連携しながら、ギリギリの綱渡りを飄々と乗り越えてみせたその実力は圧巻でした。
5.今日未明
あのとき、もっと話せていたらあの人を殺めずにすんだのか。新聞の片隅にしか載らない小さな5つの事件の真相を描いた連作短編集。自宅で血を流した男性死亡、マンション女児転落死、乳児遺体を公園の花壇に遺棄、男子中学生がはねられ死亡、高齢夫婦がエアコンをつけず熱中症で死亡。世間の憶測や先入観に埋もれてしまいそうな新聞の片隅に載る小さな5つの事件の背景には何があったのか。どの事件も日常の延長線上にあった悲劇で、登場人物たちのちょっとした選択やすれ違いが取り返しのつかない結果になってしまうやりきれなさ、報道される事実の裏にある人間の業や弱さ、そして誰もが加害者にも被害者にもなり得る怖さを改めて突きつけられました。
6.百年の時効
嵐の夜、夫婦とその娘が殺された事件。50年後、この事件の容疑者の1人が変死体で発見され、現場に臨場した藤森菜摘が、半世紀にも及ぶ捜査資料を託される警察サスペンス。上層部から許された捜査期間は一年。真相解明に足りない最後の一ピースとは何か。昭和25年の函館事件から始まり、昭和49年の佃島一家殺傷事件、そして令和6年の容疑者の変死へと繋がる壮大な警察ミステリーで、登場人物の多さや複雑な人間関係はやや難解でしたが、科学捜査が未発達だったため地道に足で稼いだ昭和の時代の泥臭い彼らの熱意が次世代の草加や藤森へと受け継がれて、時代を超えて刑事たちが執念を持って事件を追い続けることで、これまで積み重ねた様々なことが繋がったその結末はなかなか圧巻でした。
7.アフターブルー
【第19回小説現代長編新人賞受賞作】
納棺師、遺品整理士、生花装飾技能士といった葬儀関係のプロ集団、株式会社C・F・C。毎日のように遺体が運ばれてくる二課で働く5人の納棺師たちを描いたグリーフ・ストーリー。入学式を明日に控え線路に正座していた少年、ゴミ屋敷で餓死した男性、幼い我が子を残して事故に遭った母親、飛び降りる瞬間を動画配信していた少女など、二課の納棺師たちがその手で失われた生前の面影を何とか復元しようとする姿を描いていくストーリーで、その過酷な仕事ぶりを描きながら、一方で大切な人が突然この世を去ったことを消化しきれない、遺された人々の様々な想いに真摯に寄り添いながら、納棺師たち自身もまた周囲に刺激を受けて、それぞれが抱える複雑な背景に向き合い、前に進もうとする姿が印象的でした。
夢を叶えて孤独に壊れ続けるのか、夢を諦めて社会的な成功を目指すのか。将棋という極限の世界を舞台に、夢に青春を食われた2人の男の人生が交錯する物語。プロ棋士になってから成績が振るわず、将棋に囚われ続ける日々を送る芝と、才能に見切りをつけて奨励会を退会し、東大から弁護士へと進んだ大島。重苦しい空気で辞め方を知らない将棋の世界の残酷さが容赦なく描かれている芝視点の一方、将棋を離れて成功したはずなのに将棋に囚われ続ける大島視点は、夢を諦めた者の苦しみを浮き彫りにしていて、勝負の世界の厳しさだけでなく、人間の弱さや醜さをまざまざと突きつけながら、それでもなお生きていこうとする彼らの姿を描いた、痛々しくもとても美しい青春小説でした。
9.朝からブルマンの男 (ミステリ・フロンティア)
桜戸大学ミステリ研究会に所属する2人組が、出会った日常に潜む小さな違和感を丁寧に解き明かしていく、表題作を含む全5編を収録した連作短編集。一杯2000円もするコーヒーを週に3度注文しては飲み残していく客、4人の学生が暮らすおんぼろ学生寮で多発する幽霊の目撃談、単身赴任中の父親が帰宅する金曜日の夕食だけ味が落ちる郷土料理研究会の会員宅のご飯の秘密、途中下車した友人と先に行った自分の到着がほぼ同時だったのはなぜか、鉱物研究会でダイヤモンドがなくなった事件。殺人やサスペンスのない穏やかな日常の謎解きですが、しっかりとした構成の謎解きが展開されていて、探偵役の葉山緑里と相棒の冬木志亜の関係性も魅力的で、2人のやりとりもまた良かったです。
10.暗闇法廷
後天的な障害を抱える人々の支援をするNPOの施設長が殺され、殺人の容疑者とされた全盲の入所者・美波優月が殺害を否定する法廷ミステリ。深夜に施設長に呼び出されて襲われたが殺してはいないと主張する被告人。しかし状況を知れば知るほど不利な証拠しか出てこない中で、弁護依頼を受けた刑事弁護人の竜ヶ崎恭介が真相解明のために奔走するストーリーで、証人喚問に聞こえない証人や失声症の少女が出廷する中で検察側と弁護側の繊細な駆け引きが繰り広げられる中、ところところで垣間見える違和感は一体何なのか。そこから思ってもみなかった事実が明らかになって、真相へと繋がってゆく怒涛の展開には正直驚かされましたが、根深い闇が暴かれる一方で、確かな希望が感じられる結末で良かったです。
11.火星の女王
火星の鉱物スピラミンの不思議な性質の発見。それを契機とした火星と地球という二つの惑星を舞台とする、遠く離れたふたつの星をめぐって人々の心が交錯するSF小説。地球外知的生命の探求のため、人生をかけて火星にやってきた生物学者のリキ・カワナベが発見したスピラミンの変化が、地球と火星の政治的緊張を高め、登場人物たちの運命を大きく揺さぶっていく群像劇的展開で、火星での生活の描写はなかなか興味深かったですし、地球と火星の人々の心の隔たりが浮き彫りになっていく中での火星独立宣言があって、女王として象徴的な存在として祭り上げられてしまったリリの複雑な想いも印象的でしたが、戦争ではなく対話によって平和的な解決を模索するその姿勢がこの物語の肝だったように思いました。
12.激しく煌めく短い命
京都の中学校で出会った久乃と綸の関係が、友情から愛情へと静かに、しかし確かに変化していく恋愛小説。中学校の入学式で出会った同級生の綸にひと目で惹かれた久乃が、周囲の偏見にも負けず、携帯もない時代に手探りで育んでゆく愛。しかしあることがきっかけで決定的に引き裂かれ、社会の中で擦り減った久乃と変わらぬ綸が十数年後の東京で思いがけず再会した2人の立ち位置はすっかり対照的で、再会した喜びがそのまま恋の再燃に繋がるほど甘くもなく、むしろ重い現実がのしかかる構図は何とも皮肉でしたが、それでも根本的なところはずっと変わらなかった2人が迎える結末は悪くなかったですし、綸の幼馴染・橋本の存在も効いていました。
13.さよならの保険金
就活の最終面接の日に漁師の父が遭難して、家族と就職先を一度に失った桐ケ谷麻海。見習い保険調査員として生と死、お金にまつわる様々な家族の思いにふれていく連作短編集。父の死に実感もないまま就職にも失敗し、東京で暮らす叔父・響介のもとに転がり込み、なし崩し的に始めた保険調査員の見習いとして、響介とともに取り組むカメラの盗難事件、ホームの転落死、風呂で溺死した祖母、交通事故などの調査で垣間見える人間模様がなかなか印象的で、思わぬ伏線回収があったり、母の実家の事情なども浮き彫りになっていく展開も興味深かったですが、死を受け止められるようになるには時間が必要な場合があるのも改めて実感しましたし、意外と適正がありそうな麻海のその後も気になるところです。
14.蛍たちの祈り
山間にある小さな町の蛍が舞う夏祭りの夜。生きるために互いの秘密を守り合うことを約束した2人の中学生、坂邑幸恵と桐生隆之の絆を描く物語。15年後、大人になった幸恵と隆之の予期せぬ再会。望まぬ妊娠でも正道を生んだ幸恵の願い。養父母に引き取られてから思わぬ事態が発覚して、そこから苦難の道を歩むことになった正道、そして行き場を失ってしまった彼を引き取った隆之の覚悟。自分では生まれる親を選ぶことができないのに、それでも親のしたことに無関係ではいられない、子どもたちの厳しい現実が描かれていて、一方で自身もいろいろ難しい事情を抱えながら、それでも彼らに寄り添ってその成長を見守ってくれた大人たちの存在には本当に救われる思いでした。
15.世界はきみが思うより
同級生の時枝くんに「難病を抱えた美少女」の妹がいるという噂をきく高校生の冬真。友達にそそのかされ、彼の家まで行ったことがきっかけで時枝一家との交流が始まる連作短編集。最初はやや強引な形で始まった飾らないざっくばらんな時枝一家との交流、個人的にも時枝くんと仲良くなっていく中で起きた、時枝くんの写真を巡る騒動。そして写真を撮影した国際交流プラザで働く紗里の視点でもう一つの物語が描かれる構成で、それぞれに抱いているトラウマやコンプレックス、複雑な思いが浮き彫りになっていきましたけど、許せない思いは変わらなくても、自分の中でどこかで折り合いをつけていくことも必要で、それぞれに決着をつけて大切な人と生きていくことを選ぶ姿がなかなか印象的な物語でした。
16.彼女たちは楽園で遊ぶ
喧嘩別れして高校を退学し、突然、山に施設を作った新興宗教NI求会に入会した親友を取り戻そうとする女子高生たちを描く青春スリラー小説。親友を取り戻そうとする凜音。東京から《特別》になるために来た初花。大人が《楽園》と定めた場所に閉じ込められた子供たちが、聖地で禍々しいものと対峙するストーリーで、外部との接触を断たれる中で友情や葛藤が繊細に描かていた序盤から、次第に異常なルールに染まっていく少女たちを信仰という名の洗脳に染めていく逃げ場のない救いのない展開は、恐ろしいことに少女たちを救うつもりの大人も、互いを守るつもりの少女たちも誰もが善意で動いていて、結果として誰も逃げられない悪循環、主人公たちの友情とその切ない結末には胸が締め付けられる思いでした。
17.翠雨の人
科学の力を信じて真実を追い求め、生き抜いた女性科学者・猿橋勝子。戦争と差別の時代に科学の道を志した猿橋勝子の生涯を描いた長編小説。少女時代に雨の不思議に心を動かされ、理系教育が女性にほとんど開かれていなかった時代に科学の道を選んだ勝子の選択。それがやがてビキニ水爆実験による死の灰の放射能汚染を測定し、国際社会に核実験の危険性を訴える大きな成果へと繋がっていくストーリーで、そこには彼女が技術と誠実さを信じ、科学という言葉で世界と対話しようとする真摯な姿勢が根底に感じられて、人間の強さを静かに力強く語りかけてくる物語に、猿橋賞の名に込められた彼女の思いを知り、科学と人間の尊厳を守ることの大切さを改めて考えさせられました。
18.緑十字のエース
とある事情から大手デベロッパーのエリート社員から閑職に追いやられて自己都合退職し、中堅ゼネコンの契約社員となった浜地が、安全衛生管理責任者を任されるお仕事小説。積算業務だったはずが現場の未経験の仕事に戸惑う浜地の教育担当となった、度を超えた安全指導をする松本。家族に転職を隠し複雑な想いを抱えながら地道に仕事に取り組む浜地の視点から、建設現場の元請けと下請けの対立、予算と安全のジレンマなど緊張感のある現場のリアルに描かれる中、少しずつ変わっていく浜地と、バカ真面目すぎて周囲に煙たがられていた松本の本当の目的や、浜地が現場に入った意味、左遷された事情が明らかになってゆく結末は、予想とはだいぶ違うところへの着地点でしたが思いのほか悪くなかったです。
19.うまれたての星
1969年、人類が月面着陸をした年に出版社に就職した辰巳牧子が、経理補助として「週刊デイジー」「別冊デイジー」編集部で働き始めるお仕事小説。漫画班・活版班・グラフ班に分かれる「週デ」と、小柳編集長の下で才能あふれる若い漫画家たちを次々にデビューさせていた「別デ」。そこに漫画を担当したいと願う女性陣、少女漫画の世界に放り込まれ戸惑う男性陣を絡めながら、編集部で働く人々の希望と挫折、喜びと苦しみを描くストーリーで、まだ無名だった20歳前後のスター作家たちが編集部でどう扱われ、どんな葛藤を抱えていたかを丁寧に描きながら、お茶くみと電話番が女性の仕事とされていた時代でも、諦めずに漫画担当への夢を燃やす女性陣たちの熱い想いはなかなか圧巻でした。
ゲーム機メーカー・モノベ社の知的財産部員・平間青介が、保留に追い込んだはずの機能が残っていたことを知り、事実確認に向けて奔走するエンタメ小説。欧州で販売された『モノギア』に、開発部に散々煙らがられながら削除したはずの機能が残っていたのはなぜか。主力商品で起きた深刻な問題の可能性に社長から事実確認と対応を命じられ、しかも厳格な秘密保持を命じられたことで周囲に事情も話せず、手段も限られ、理解されない孤独な戦いを続ける平間。思わぬ形で世間に大々的に暴露されてしまう機能、事態が急展開を迎える中で、それでも諦めずに活路を見出して今回の事件の隠されていた背景の真相に迫り、危機的状況も回避してみせたその結末はなかなか面白かったです。
経済が停滞する日本に生まれた前代未聞の扶助団体HIPS。誰も取りこぼさないために、一見完璧なAIによる管理が行われているHIPSの周囲で、数々の不穏な事件が巻き起こる近未来連作小説。あらゆる会則をAIに委ねて全ての会員を監視下に置き、経済活動と財産所有を禁止する代わりに、健康で文化的な最低限度の生活を保障するHIPS。理想的にも思えるこの仕組みが、実際には人間の欲望や不安、倫理観を揺さぶり、それが様々な社会問題や事件を引き起こしていく様子が描かれていて、AIによる管理社会の可能性と危うさ、何より最低限の生活が保証されていれば人は満足できるのか、人間の尊厳とは何かという本質が問われる中で、制度の理想と現実、人間の自由と管理のバランスの難しさを改めて考えさせられる一冊でした。
22.リボンちゃん
幼い頃から可愛いものが大好きで、よくわからない店で働く頭のリボンがトレードマークの百花が、伯母の加代子が営むテーラーを手伝う物語。おおらかだけれど恋愛対象が女性で父親の求める普通の幸せを望めない百花と、裁縫学校を出たのに女性であることを理由に紳士服を作ることを許されず、夫亡き後も日用品を中心に製作していた加代子。そこから1つの依頼をきっかけに手芸好きの百花の力を借りながら下着のオーダーを受ける展開で、依頼者のこだわりに真摯に向き合い、満足できるようなよりよいものを作ろうと試行錯誤して、その中で百花や加代子もまた周囲がどうこうよりも自分がどうしたいのか、自分が本当に望んでいることを見出していくとても素敵な物語でした。
23.雨のやまない世界で君は
隕石の衝突により、雨のやまなくなった北半球。高校生の娘・茜と母の小夜子は、ある事件をきっかけに、スラムで暮らす樹希と行動を共にする物語。隕石が衝突する以前に高校生だった小夜子が抱いていた淡い想い。そして隕石が衝突したことで崩壊した世界と、何とか生き延びた彼女の現在地と抱えたままの想いや、これまでの出来事が浮き彫りになっていく展開で、世界が崩壊したら人々はどうなるのか、その描写には情け容赦のないものを感じましたが、そんな環境で育まれていく茜と樹希とのかけがえのない絆があって、だからこそブリスベンへの移住計画で突きつけられる残酷な条件とそれぞれの選択には胸が締め付けられましたが、彼女たち迎えた優しい結末には救われる思いでした。
逸木裕 中央公論新社 2025年08月21日頃
カリスマ経営者・森栄莞爾が精子提供で105人もの子供を作っていたことが判明し、森の子どもである可能性を突きつけられた人々を描いたミステリ。同じ境遇の12人とともに森を父親として認めるか否か、議論する会合に参加した健太の視点から物語は描かれていて、各人物の背景や価値観や、それぞれが抱える複雑な想いが少しずつ明らかになっていく一方、自らもまた恋人が妊娠したことで父親になる可能性が出てきたことで葛藤を抱える展開で、育ててくれた人と遺伝子上の父のどちらを父親と呼ぶべきなのか。簡単には決められない問いに心揺さぶられ、意外な真相にも直面していく中で、血縁を超えた人間関係の可能性を感じさせてくれたその結末はなかなか良かったです。
25.クイーンと殺人とアリス
孤島を舞台とした謎解きアイドル「Queen & Alice」のオーディションで、最終審査が殺人事件へと急転するミステリ小説。最終審査に集まったのは、クイズ大会で敗れたリベンジを誓う高校生コンビの想空と七色、9年間オーディションを受け続ける真昼、元バンドマンの聖来ら、個性豊かな8人の候補者たち。クイズ愛あふれる軽妙な会話とクイズ対決で盛り上がる前半から一転、常軌を逸した悪夢のような連続事件が発生素人探偵が推理を繰り広げるストーリーはギャップが効いていて、やや登場人物が多くミステリー要素もやや薄めではありましたが、候補者たちのクイズに対する熱すぎる想いや応援したくなるような芯の強さはなかなか魅力的で、真昼と瑠璃もいいコンビだったと思いました。
26.暴走正義
今日もスマホを握りしめて一億総正義の暴走族時代を生きる、義憤に駆られて怒っている正義系な人たちを描いた常識大逆転ミステリ。悪事を暴いて晒すことにハマってしまった暴露系インフルエンサー、保険金殺人のネタを掴んだ崖っぷちの週刊誌記者、ストーカー被害を訴えても実害がないと動いてくれない警察、放火現場で確保された誤認逮捕の常連、性犯罪の再犯率が異常に高い街、死刑廃止活動家が直面する事件。SNSや報道を通じて誰もが正義の担い手になれる時代に、情報の切り取り方で人生が簡単に破壊される恐ろしさを突きつけられ、誰かにとっての正義が、別の誰かにとって暴力かもしれない相対性、正義が時には簡単に加害へと転じる危うさを浮き彫りにしていました。
27.県知事選挙 踊る民意
七期目当選を目指す現職県知事が出馬表明した群馬県知事選挙を控える状況で、直前で対抗馬として地元出身の元女性アナウンサーが出馬表明する選挙小説。群馬市長選で現職相手に若者が番狂わせを起こしたSNS戦略。復活したアカウントが呟く群馬県知事選挙を揺るがす真実とは何か。そして無風に思われていた県知事選挙では、SNSでの誹謗中傷攻勢や暗躍する新興メディア、現職と同名で出馬して二馬力で対抗馬を応援するインフルエンサーなど、最近の選挙でよく見る手法が想像以上に効いてくる展開で、ギリギリの攻防の中で垣間見える民意の不確かさと情報操作の恐ろしさ、そういった輩と組む危うさも描かれる中、誰もが振り回された混迷の県知事選挙の結末がまた効いていました。
28.砂上の王国
【第17回角川春樹小説賞受賞作】
7世紀。小国ながらシルクロード交易の要衝にある高昌国を舞台に、唐と西突厥の二大勢力の狭間でいかに生き抜くかに揺れるオリエント歴史小説。新興国の大国・唐と国境を接する中、強大だが荒々しい西突厥と手を組み西域の盟主として独立を貫こうとする父王が、10年前の見聞から唐を侮り、その領土に手を出したことで侵攻を受けてしまう高昌国。現実を見ない父王の存在もあって後手に回る中、冷静で理想を掲げる智盛、情に厚く真っ直ぐな史含、知略に富む智湛といった三兄弟や、唐の将軍や西突厥の可汗ボグドといった登場人物たちや、その生き様には存在感があって、長安に舞台を移した後半の陰謀に巻き込まれていく緊迫感のある展開や、兄弟たちそれぞれの選択もなかなか印象的でした。
29.黄金と水飴のアパルトマン
ルームシェアをしていた従姉の帰郷により、住む場所を失った元ピアニストの梨音。そんな彼女が縁あって夢を追う若者たちの共同住宅・アパルトマン黒猫の管理人になる物語。イラストレーターやVtuberと並行して活動するアイドル、書道家や脚本家、AIエンジニアといった芸術と真剣に向き合う個性的な住人たちとの出会い。その中で嫌でも自覚させられていく、生成AIの進化に芸術が脅かされる時代に、彼らが手にした黄金はいつまで黄金であり続けることができるのか。なかなか難しい深遠なテーマでしたけど、自分の才能を信じられない梨音にとって、それでも毎日何時間も弾くくらい好きなピアノは何なのか、様々な出会いの中で自分がどうしたいのかを見出していくその姿はなかなか印象的でした。
30.盗んで食べて吐いても
幼いころに聞いた母の言葉をずっと忘れられないでいる早織。結婚して子どもができてからも、密かに摂食障害に苦しむ彼女の苦悩を描いた物語。小学生の頃から母に食事量を厳しく制限され、食べて吐くを繰り返すようになり、吐くための食料を手に入れるため、依存からの万引きを止められない早織。そんな彼女のもとにずっと避けていた母の命がもう長くないと告げる電話が入る展開で、とはいえその死によって呪縛から解放されるわけでもなく、そこからの人生は真面目な早織にとって、なかなか厳しいものがありましたけど、何とかやり直そうとする彼女を理解してくれる人がいて、同じように苦しむ麻里乃に寄り添うその姿や、思ってもみなかった再会には少しだけ救われる思いでした。

