恒例の2024年上半期注目のオススメ新作企画第5弾ということで、今回は新作文芸単行本編です。気になる作品があったらこの機会にぜひ読んでみて下さい。
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1.カフネ
誰からも愛されていた弟・春彦の急死の報に直面して悲嘆に暮れる野宮薫子。彼が密かに遺していた遺言書の執行人に指名され、弟の元恋人・小野寺せつなと再会する物語。理由も分からないまま夫・公親に別れを告げられ、荒んだ生活を送っていた薫子が直面するさらなる悲劇。責任感の強い彼女がせつなに会ったことをきっかけに、彼女が勤める家事代行サービス会社「カフネ」の活動を手伝うようになり、様々な人々と出会う過程で知ることになってゆく春彦を取り巻く背景。一方でせつなの作る美味しい料理や薫子の掃除が多くの人々の心を癒やしていって、カフネの活動を通じて薫子の心境やせつなとの関係も変わる中、時にはぶつかり合いながらも、不器用な人たちの思いに真摯に寄り添うとても優しい物語でした。
2.女の国会
自殺した与党議員・朝沼侑子の原因でないかと窮地に追い込まれた野党第一党の高月馨。朝沼の婚約者で政界のプリンス・三好顕太郎に直談判し死の真相を調べるミステリ。直前の状況もあって批判が集まり、謝罪と国対副委員長の辞任を迫られたものの、長年ライバル関係を築いてきた朝沼の死がどうも解せない高月。自らの政策担当秘書の沢村、新聞社の女性政治記者の和田山、地元女性市議会議員の間橋たちとも連携しながら、彼女の死の真相と背景を追う展開で、政治家たちとの虚々実々の駆け引きがあって、女性が政治で生き抜いていく難しさも生々しく描いていましたが、それでも諦めないたくましい彼女たちが切り開いて、たどり着いた思わぬ真相も含めてなかなか熱く面白い物語になっていました。
3.科捜研の砦
鑑定技術力と幅広い知識、そして、信じられないほどの愛想のなさで警察内部で「科捜研の最後の砦」と呼ばれる土門誠。彼が「最後の鑑定人」に至るまでの道程を描いた前日譚。白骨遺体事件で出会った科警研の尾藤、飲酒運転事故に隠されていた思わぬ真相、過労死疑惑のある不審死を追う土門と非常勤講師だった菅野の出会い、そして思わぬ形で対峙することになった不審死事件の容疑者。仕事に妥協しない姿勢に凄みすら感じさせる彼との出会いに触発された人々がいて、そこに隠されているのがどれほど残酷な事実だったとしても、決して妥協しない最強コンビ夫婦の仕事っぷりもまた極まっていましたが、だからこそ科捜研での仕事に誇りを抱いていた彼が辞めざるをえなかった経緯が何ともまた切なかったですね…。
4.カラフル
高校入学式の朝、駅のホームでひったくり犯を捕まえた荒谷伊澄。その際に犯人の前に出て足止めをしようとした車椅子の少女・渡辺六花と出会う青春小説。第一印象は最悪で、その後の事情聴取で六花も同じ高校の新入生と判明し同じクラスになった弁が立ち気の強い六花が、無意識に作られてしまう壁を乗り越えようとする姿を目の当たりにしてゆく展開で、委員長への立候補や強歩大会へ参加表明する六花への反応にはなかなか難しいものがありましたけど、新たな夢を語り、不器用でも理不尽を変えていこうとする六花の悪戦苦闘ぶりを目の当たりにするうちに、夢を諦めて無難に生きようとしていた伊澄や周囲の友人たちもまた少しずつ変わってゆく世界はとても彩りに溢れていたと思いました。
5.キスに煙
かつてフィギュアスケートで活躍し、引退後はデザインの仕事をする塩澤。ある日、ライバルの志藤とは犬猿の仲だったコーチのミラーが転落死したことを知るミステリ。お互いに好敵手として競り合い意識する存在で、今もトップスケーターの地位にある志藤へのひた隠しにする想い。それがミラーの疑惑の転落死をきっかけに、お互いにこれまでと違う眼差しを向けるようになって、少しずつ着時に変わってゆく二人の関係。告げるだけで重荷になると秘めていた恋心と、もしかして自分のために彼は罪を犯したのでは?という疑心が交錯してしまう、なかなか切なくてシリアスな展開でしたけど、だからこそその顛末と垣間見えた最後の真意には救われる思いでした。
6.死んだ山田と教室
夏休みが終わる直前、飲酒運転の⾞に轢かれて死んた⼭⽥。勉強が出来て⾯⽩くて、誰にでも優しい2年E組の⼈気者だった彼の魂が教室のスピーカーに憑依する青春小説。悲しみに沈む学期初⽇に、担任の花浦が席替えを提案したタイミングでスピーカーから聞こえてきた⼭⽥の声。声だけになった周囲をよく見ている人気者の山田とクラスの仲間達の不思議な日々は、一方で文化祭で学校外のバンド活動や中学時代など、山田の知られざる一面も明らかになっていって、どこかのタイミングで成仏すると思っていた山田が、仲間たちが進級しても、卒業してもなかなか成仏できない孤独には来るものがありましたけど、そんな彼に最後まで寄り添い続けた和久津と迎える結末が印象的な物語になっていました。
伝説の殺し屋・和尚に拾われ、自らも殺し屋となった青年・雨乞。初夏のある日、駐在警官・藪池清を始末する命を受けた雨乞が、ふと小さな違和感を抱く物語。和尚への服従を誓う雨乞の小説を読むようになり、拙い文章を書き始めていたという秘密。偶然、今回の標的が好きな作家だと気づいてしまい、和尚に24時間の猶予を貰って、藪池と一緒に真犯人を探し始める雨乞。焦点となる少女の殺人事件の関係者、それに殺し屋の同僚も入り乱れる中、和尚の悪辣な立ち回りが際立っていましたが、心を殺していた彼が小説に対する想いで変わっていったその結末と、そこに感じられる未来への可能性がなかなか印象的な物語になっていました。
8.鳥人王
お笑いでは芽が出ず身体能力ばかりが評価され、番組企画で棒高跳に挑戦する崖っぷちの芸人・御子柴陸。その番組を通じて五輪代表候補の大学生・犬飼優正と出会う物語。お笑いで食えずバイトの比重が高くなっていく相方に、このまま芸人を続けていいのかと葛藤しながら、スポーツバラエティ番組のレギュラーとしてストイックな生活を続ける陸。そんな彼がパリ五輪を目標とする犬飼と出会い、立場は違えども相手の競技に真剣に取り組む姿勢を見ているうちに、お互い意識してゆく展開で、棒高跳びの競技事情や国産ポールに挑む研究者の姿も描きながら、現状に複雑な想いを抱える二人の事情も明らかにされる中、それぞれの大会で自らのギリギリに挑む熱い展開には心揺さぶられるものがありましたね。
9.定食屋「雑」
献身的に夫を支えていたのに、突然夫から離婚を切り出された沙也加。理由を隠す夫の浮気を疑い、頻繁に夫が立ち寄る定食屋「雑」を偵察し、そこで働き始める定食屋物語。大雑把で濃い味付けの料理を出すその店には、愛想のない接客で一人店を切り盛りする老女ぞうさん〟魅入られるように定食屋「雑」でアルバイトをすることになり、ぞうさんを支えてそこに居着いてしまう沙也加。夫との離婚話は相性もあるし、修復も難しそうな状況では仕方ないのかなと思いましたけど、年齢も性格も違う2人が一緒に働く中で、気難しいぞうさんに少しずつ認められ育まれてゆく確かな絆があって、つい食べたくなるような心温まる美味しい定食を出すこのお店が、かけがえのない居場所となってゆく結末がなかなか良かったですね。
10.一番の恋人
「男らしく生きろ」という父の期待に応えることで、これまでの人生が全て上手くいってきた道沢一番。しかし二年の交際を経て恋人の千凪にプロポーズしたものの、「好きだけど、愛したことは一度もない」と衝撃的な告白を受けてしまう物語。最近、ようやく自分がアロマンティック・アセクシャルであることを自覚して、ずっと普通の恋愛ができないことに悩んでいたことを明かす千凪。旧態然とした普通の生き方を当たり前のように押し付ける、これまで彼を支えていた父親の言葉が呪いとなって、彼女のことを受け入れたいと思いながらも葛藤を抱えてしまう一番、そして愛せないことを申し訳ないと思いながらも、孤独に生きる覚悟も持てない千凪の複雑な想いがあって、そんな2人がすれ違い、悩みながらも一緒に考えて出した結論もまたひとつの愛のカタチがなのかなと思えました。
11.ファラオの密室
古代エジプトを舞台に、死んでミイラにされながら、心臓に欠けがあるため冥界の審判を受けることができなかった神官のセティ。欠けた心臓を取り戻すために地上に舞い戻るミステリ。3日間という期限を設けられて自分が死んだ事件の捜査を進める中で、やがて直面するミイラ消失事件というもう一つの大きな謎。異国で捕らえられて奴隷となった少女カリ視点も加えていきながら、唯一神アテン以外の信仰を禁じた先王を巡る企みにも立ち向かう展開になっていましたけど、いろいろな出来事が起きていく中でやや当初の目的が薄れてしまった感もあって、何よりやはり当時のエジプトでは蘇った存在が普通に受け入れられるのか、そこがちょっとだけ気になりました(苦笑)
12.正しき地図の裏側より
定時制高校に通い無職の父に代わり働く耕一郎。父から衝撃的な言葉を言い放たれ、衝動的に殴り飛ばし雪の中に倒れた父を放置して逃げるように故郷を去る過酷な日々を描く物語。僅かな所持金は瞬く間に減り逃亡生活は厳しくなる一方。遂に金が底をつき、全てを諦めようとした絶望の中で差し伸べられたホームレスの溜まり場からの手。それでも身分を証明できない生活はここまで厳しいのか…と突きつけられる日々の末に、ようやく故郷へ帰る決意をした彼に待ち受けていた結末は、想像していたよりもずっとマシな状況で、あがき続けた彼の頑張りを見守ってくれた人もいましたが、それでもその不器用なすれ違いに対するやりきれなさは感じましたし、いつか報われて欲しいと思わずにはいられませんでした…。
野放図な好奇心で森羅万象を収集、記録することに生涯を賭した「知の巨人」南方熊楠の型破りな生き様を描いた伝記的小説。慶応3年に和歌山に生まれ、問で身を立てることを目指して人並外れた好奇心で洋の東西を問わずあらゆる学問に手を伸ばして、自然と万巻の書物を教師とした熊楠。父の反対をおしきってアメリカ、イギリスなど海を渡った熊楠。学問を続けながら在野であるがゆえになかなか陽の目を見ることができず、世に認められぬ苦悩と資金繰りに頭を悩ませざるをえない困窮があって、家族との軋轢や困難にも直面しながら、天皇に講義する栄誉を賜ったその愚直に生きることしかできなかった波乱万丈の生涯が鮮烈な印象を残す物語になっていました。
14.なんで死体がスタジオに!?
失敗を重ねて次がダメなら制作を外すと告知されたがけっぷちプロデューサー幸良涙花。進退をかけた「ゴシップ人狼」で思わぬ事態が発生するミステリ。出演者たちが持ち寄ったリアルゴシップを語りながら、番組内で嘘つきを推理する危ういトーク番組を生放送でという無茶ぶりの中、本番前に直面してしまう偽死体役の大御所俳優の本物の死体。爆破予告もあり、犯人が用意した台本をもとに出演者たちも知らぬまま、番組をスタートさせる決断をする幸良。テンポよく進むストーリーで状況が変わるたびに、出演者の印象も二転三転して、大切なものを取り戻すための犯人の悲壮な覚悟も見えてきましたが、だからこそ時間が掛かっても最後の最後で報われた優しい結末には救われる思いでした。
15.ここはすべての夜明けまえ
2123年10月1日、九州の山奥の小さな家に1人住む、おしゃべりが大好きな「わたし」が、人生と家族について振り返るため、自己流で家族史を書き始める回顧録。約100年前、身体が永遠に老化しなくなる融合手術を受けることを父親から提案された主人が綴る、ひらがなメインの文体で語られる物語で、理不尽な扱いをする父や兄、二人の姉たち、そしてパートナーとなっていった新との関係が描かれていて、主人公とその周囲の人々を中心に描かれていた作中ではやや感情に乏しい存在として描かれていたように思えた主人公でしたけど、時を経て人類がいろいろと調整された未来においては、それでもむしろ感情豊かな珍しい存在に見えてしまう構図の変化にはじわじわと来るものがありました。
16.東京都同情塔
ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、71階建ての新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられる物語。自身の苦い過去の経験からなかなか犯罪者に寛容になれない建築家・牧名沙羅が、仕事と信条の乖離に苦悩しながら設計した建物が「東京都同情塔」と名付けられ定着していく構図で、多様性を尊重するということはどういうことか、ふわっとした曖昧な言葉でオブラートに包めばいいのか、同情をされるべき犯罪者が自由に優雅に暮らす欺瞞を突きつけて、比較することが良くないこととされ、寛容であることを求められることに対するもやもやに垣間見える複雑な思いがなかなか印象的な物語でした。
17.ミステリー小説集 脱出
阿津川辰海/井上真偽/空木春宵/織守きょうや/斜線堂有紀 中央公論新社 2024年05月22日頃
閉じ込められた異常な状態からいかに脱出するか。「脱出」をテーマに5人の作家が描いた書き下ろし短編を収録したミステリアンソロジー。同級生の結婚式で明らかにされる、高校時代の天文部合宿で起きた屋上に閉じ込められ事件の真相。入るものは「主」に名前を奪われる森と2人の少年。魔女狩りが横行する町で囚われた女の秘密、人を喰う巫女が棲むという神社を訪れた女の目的、見知らぬ研究所で記憶を失っていた少年と激変した世界。前提条件としてのテーマを押さえつつ、その中でどのように自分の世界を表現するのか。最初に抱いたイメージとはだいぶ違いましたが、それぞれ著者さんらしさがよく出ている多彩な作品構成になっていて良かったですね。
18.そして誰かがいなくなる
大雪の日に行われた、大人気作家の御津島磨朱李が細部までこだわった新邸のお披露目会。関係者が招かれ最初は和やかな雰囲気だったものの、次第に雲行きが怪しくなってゆくミステリ。大雪によって閉ざされた館となった夜に起きたある事件。著者自身の自宅を舞台にオマージュとして描かれた作品らしく、ストーリーとしてもオーソドックスなクローズドサークルや奇想天外のどんでん返しといったミステリのお約束を駆使しながら、関係者の誰もが怪しく見えてくる構図になっていて、冒頭に描かれていた覆面作家が殺される事件の真相には、思ってもみなかった意外な意図も隠されていましたけど、読者をいい感じに振り回してくれるなかなか面白い作品に仕上がっていました。
古びた実家を取り壊して、それぞれが新しい生活を始めるはずだった家族。その引っ越し前に父を除いた家族で片づけをしていたところ、不審な箱に入った怪しいものを見つけてしまうどんでん返し家族ミステリ。家族がそれぞれ新しい生活を始めるために、近づく引っ越しに向けて片付けを進めている家で、なぜか発見された青森の神社から盗まれたと報道されているご神体と思われるもの。家族で話し合った結果、不在の父が盗んだものかもしれないという結論に落ち着いて、返却して許しを請うためにご神体を車に乗せて山梨から青森へ出発する一同。その中で明らかになっていく家族たちそれぞれが抱える事情と嘘があって、時にはぶつかり合いながらその中に家族の絆を見出していくその結末が印象的な物語になっていました。
天祢 涼 角川春樹事務所 2024年04月15日頃
子どもの頃から自分の感情や思考を言葉にするのが苦手で、今は食品会社に務める藤沢彩。彼女が心惹かれる先輩の田中心葉が、過去の殺人を告白したことで心揺らいでいく物語。思い悩んでいた時に声をかけてきてくれた一年先輩の心葉を意識するようになってゆく彩。心葉と同期の佐藤千暁とも次第に交流ができてゆく中で起きた、会社の朝礼での突然の告白と心葉の失踪。被害者遺族としての複雑な想いも絡み合ってゆく中で起きた千暁の母が殺される事件もあって、今はこういう悲しみでもネタとして消費することしか考えない心無い輩がいることには憤りを覚えますが、それぞれの言葉にできない苦しみを抱えながらも、それに向き合って変わってゆく彼女たちの姿が印象に残る物語になっていました。
21.わたしは孤独な星のように
ここではない世界の人間が異文化と接するときの情景や、未知なる動植物の生態をコミカルに描いたSF短編集。人々がキノコとの共生で他人と共感能力を得るようになった世界。環境激変によって人類が海へと生活を移しクラゲのような生態になった世界。宇宙規模のスケールへエスカレートするダイエットにかける情熱、宇宙人と意思疎通するため全人類が声優の役目を負う世界。異知性とのコンタクトやAIと仮想現実が発展・普及した世界、人口減少で滅びつつある宇宙コロニーで叔母の友人と旅に出る表題作など、それぞれが著者独特の感性と自由な発想で描かれた、どこか終末を感じさせる世界観が印象的な短編集になっていました。
22.刑事王子
都内で起きた密室殺人。なぜか北欧の金髪王子ミカへの協力を命じられたアラフィフのベテラン刑事・本郷馨が、共に捜査に乗り出すアクションミステリ。殺人現場に不法侵入していた北欧の小国メリニア王国のミカ第三王子。事情あって国際指名手配犯を追う彼と挑む密室殺人の真相究明に、迷惑系Vtuberを殺した疑いのある三人の容疑者。そしてミカが日本まで足を運んだ理由と因縁の決着。捜査の合間に日本文化を堪能する王子に振り回されながら、組み合わせの妙で密室やアリバイ崩しを協力して解決していく構図で、その結末にはほろ苦さもありましたけど、何だかんだでバディとして息も合ったコンビになっていく二人の関係性がなかなか良かったですね。
高野 史緒 講談社 2024年05月23日頃
作家は、小説は、本は、どんな未来に向かっているのか。本を愛しすぎている人たち<ビブリオフォリア>の紡ぎ出す5つの物語。読書に関する特殊な法律により一定期間で本が抹消されてしまう世界の読者と書き手の想い、正確に訳すことが限りなく不可能なマイナー言語の日本で唯一の翻訳者、小説を斬りまくる文芸評論家が出会う絶対に書評できない本、書けなくなり苦悩する元・天才美人女子大生詩人のたったひとつの願い、本の魔窟に暮らす蔵書家が訪れた不思議な古本屋。もし特殊な世界で自分がそんな立場に置かれたら…とつい考えてしまうシチュエーションでは、登場人物たちの様々な生々しい思いや、ついこぼれてしまった本音が垣間見えてハッとさせられました。
24.沙を噛め、肺魚
沙嵐に覆われてしまった世界。何よりも安定を目指すようになっていた人々の中で、クリエイターを目指す少年少女たちを描いたディストピア小説。安定した仕事で稼いで、機械が作り出した娯楽を享受して、安全で快適な街で過ごすことがささやかな幸せになりつつある状況で、周囲に反対されながら好きな音楽を続けるために音楽隊に入りたい少女ロピ。一方で好きなことに一生懸命な友人に劣等感を抱いて夢中になれるものを探す少年ルゥシュ。沙嵐に脅かされたり、将来的な絶望まで突きつけられながらも、機械任せではない、自らが生み出すことを諦めずに追い求め続けた2人が、様々なものと出会い、大切なものを見出してゆくそれぞれの結末が印象的な物語になっていました。
25.こまどりたちが歌うなら
前職の人間関係や職場環境に疲れ果て退職した茉子。親戚の伸吾が社長を務める小さな製菓会社に転職して、会社の中の見えないルールに振り回されてゆく物語。父の跡を継いで社長に就任したもののどこか頼りない伸吾、誰よりも業務を知っているのにパートとして働く亀田さんの事情。声も態度も大きい江島さんと怒られてばかりな部下の正置さん、畑違いの有名企業から転職してきた千葉さんなど、なかなか言いたいことも言えず摩擦も多い社内の人々のもやもやや生々しい心情も描かれていましたが、そんな中コネの子と言われ時には嫌な思いをしながら、それでもおかしいと思ったことに勇気を持って声をあげたことで、少しずつでも確かな変化の予感を感じさせてくれたその結末には確かな希望がありました。
26.鳥と港
大学院を卒業後、新卒で入社した会社に馴染めず、九ヶ月で辞めた春指みなと。退職してからも次の仕事を探せない彼女が、公園の草むらに埋もれた郵便箱を見つける物語。見つけた郵便箱を介した文通が始まって、相手が意外にも高校2年生の不登校児だったと気づいて、その飛鳥と「文通」を「仕事」にすることを考えついてクラウドファンディングに挑戦する2人。ワクワクするような高揚から落ち着いて冷静になってみると、それぞれが置かれた立ち位置の違いゆえのすれ違いも起きましたけど、お互い大切でかけがえのない関係で、相手のことをもっと知ろうとそれぞれが努力して、2人で作り上げたものをどうべきか一緒に考えて、これからも続けていきたいと思えたその結末はなかなか素敵だと思いました。
27.告白撃
三十歳を目前に婚約した千鶴。自分への恋心を隠し続ける親友・響貴の心残りをなくすため、彼に告白させて自分が振る秘密の計画を立て、大学時代の友人たちを巻き込んでゆく告白大作戦。自分が婚約したことを告げて響貴が中途半端な想いを引きずらないよう、前に進むことができるように先に告白させて失恋させてすっきりさせるべきだと突然主張する千鶴。いい大人のやることとは到底思えないアイデアに、呆れながらも協力する共通の友人・果凛。とはいえ別の思惑で動く友人たちもいて、そう簡単に思惑通りに上手くいくわけもなく、そりゃそうだよな…と苦笑いでしたけど、それでもこれまで年月を積み重ねてきたかけがえのない絆や、心境も変化していった2人がお互い納得できる結末に落ち着いて良かったです。
28.22歳の扉
数学好きで京都の大学に入学した田辺朔。漫然と一回生前期を終えてしまった彼が通称キューチカでひっそりと営業されているバーのマスター夷川と出会い、大学生活が一変する青春小説。夷川に初めてウイスキーやタバコといった世界を教えられた朔が、何の前触れもなくナイジェリアへ留学に行ってしまった夷川の跡を継いでバーのマスターとなり、彼なりに試行錯誤するようになってゆく展開で、時には慕っていた夷川の不在をなかなか埋められずにいる野宮に振り回されながら、様々な人々と出会い成長してゆく姿や、ままならない状況に直面する登場人物たちの葛藤が描かれていて、それに必ずしも前向きに向き合える時ばかりというわけでもなく、そんな煮えきらない感傷的な想いもまた一つの青春だなと思いました。
29.彼女がそれも愛と呼ぶなら
母親の伊麻と3人の恋人たちと一緒に暮らす高校生の千夏。秘密を抱え目立たないようにしてきた彼女が、クラスで一番の人気者から告白されてしまう恋愛小説。複雑な家庭事情を友人にも明かせずにいたところに、思わぬ形でスタートした交際。一方、伊麻と再会して子供を産んでも恋愛を楽しむ姿を見て、決心を固める高校時代の友人絹香。とはいえ千夏は彼氏に異様に束縛されるようになり、絹香もまた夫との関係を思うようには変えられない現実に直面して、誰でも伊麻のように自由な恋愛ができるわけでも、周囲の理解を得られる関係を築けるわけでもないんですよね…。けれど現実を突きつけられ挫折した彼女たちもまた、紆余曲折の末に大切な存在を見出していくその結末には救われる思いでした。
30.八秒で跳べ
6月のインターハイ予選で初めて県の準決勝まで進んだバレー部に所属する宮下景。しかしその重要な試合の数日前、景はあることがきっかけで怪我をしてしまう青春小説。違和感をそのままにしてしまったゆえの負傷による離脱。やる気がないと思っていた部員が、自分の代わりに起用されていることに対して、何となく積み重ねていくモヤモヤ。一方、彼の怪我に責任を感じて罪滅ぼしをしたいと告げてきた同級生の真島綾が抱える苦悩。これまで周囲を気にかけることもなく、マイペースに学校に通い部活に臨んでいた景が、怪我をしたことで以前のように上手く出来ないもどかしさを感じて、周囲の想いを知っていく中で様様なことに気づき、不器用に思いを言葉にしていく中で見出してゆくその答えが印象的な物語でした。

